環境と大気汚染を背景に進むパリのバスの変化
パリの街を走るバスは、見た目にはほとんど変わっていません。車体の色も、音も、停留所での風景もこれまでと同じです。しかし、その内部では確かな変化が進んでいます。ディーゼル燃料から、より環境負荷の小さい代替燃料へと切り替えが始まっているのです。
イル・ド・フランス地域では、長年にわたり交通由来の大気汚染が問題視されてきました。とくにディーゼル車が排出する微粒子や窒素酸化物は、呼吸器系や循環器系への影響が指摘され、公共交通のあり方そのものが問われるようになっていました。こうした背景の中で、地域の交通政策は大きな転換点を迎えます。2025年末までにディーゼルを事実上排除するという宣言がなされたのです。
しかし、その理想はすぐに現実の壁に突き当たります。約1万台を超えるバスを一気に電気やガスへ切り替えることは、技術的にも財政的にも容易ではありません。ここから、パリのバスが選んだ現実的な移行戦略が動き出します。
ディーゼル全廃という目標と、数字が示す現状
目標は明確でしたが、現状は厳しいものでした。2025年を目前にしても、地域を走るバスの約65%は依然としてディーゼル、もしくはディーゼルハイブリッドです。バイオガス車は約25%、電気バスは約10.5%にとどまっています。
電気バスは排出ガスを出さず理想的に見えますが、導入には充電設備の整備が不可欠です。車庫ごとに電力容量を増強し、充電時間を考慮した運行計画を組み直す必要があります。バイオガスバスも同様に、燃料供給インフラと専用設備が求められます。どちらも時間と投資を必要とする選択肢でした。
こうした事情から、ディーゼルをただ廃止するのではなく、既存の車両を活かしながら環境負荷を下げる方法が模索されるようになります。その中で浮上したのが、HVOという燃料でした。
HVOとは何か 植物油が燃料になるまで
HVOは、使用済みの食用油や食品廃棄物由来の油脂を原料とする燃料です。ただし、単なる植物油ではありません。水素を使った精製工程によって分子構造が改変され、性質がディーゼルに近づけられています。
この技術的な違いが、HVOの最大の特徴です。従来の植物油燃料は粘度が高く、低温時の始動性や燃焼の安定性に課題がありました。一方、HVOは既存のディーゼルエンジンで問題なく使用でき、多くの場合、エンジンや燃料系統の改造を必要としません。
環境面での効果も大きく、製造から使用までを含めた温室効果ガス排出量は、従来のディーゼルに比べて大幅に削減されます。排気ガスの臭いが少なく、粒子状物質の排出も抑えられるため、都市部のバスには適した燃料とされています。
移行のための燃料という位置づけ
重要なのは、HVOが最終目的ではないという点です。イル・ド・フランス地域の長期目標は、2029年までにクリーンバスのみの運行体制を確立することです。その内訳は、バイオガスが約70%、電気が約30%とされています。
HVOは、その目標へ向かう途中段階の選択肢です。今すぐ新しいバスを用意できなくても、燃料を切り替えることで排出量を減らせる。この即効性が評価されました。大規模な工事を待たずに、明日から環境負荷を下げられるという点で、HVOは移行期の燃料として合理的だったのです。
コストと供給という現実的な課題
一方で、HVOには明確な課題もあります。その代表がコストです。ディーゼルより燃料価格が高く、年間で約2000万ユーロの追加負担が見込まれています。この負担をどう受け止めるかは、政策判断の核心でした。
また、供給体制も万全とは言えません。HVOの供給元は限られており、主に国外やフランス南部に依存しています。それでも、すでに約3500台のバスがHVOへ切り替えられ、車庫の半数以上で燃料タンクの整備が完了しています。2026年春までには、約90%のバスがHVOで走る見込みです。
ただし、技術的な理由からHVOに対応できない車両も存在します。全体の約10%にあたるバスは、更新までディーゼルを使い続けることになります。
段階的な脱炭素が示す都市の選択
同時に、新型の電気バスやバイオガスバスの導入も進められています。4000台以上が発注されていますが、メーカーの生産遅れなどにより、計画は必ずしも順調ではありません。それでも2030年までに旧型ディーゼルバスをすべて退役させるという方針は変わっていません。
この一連の取り組みが示しているのは、脱炭素が一気に進むものではないという現実です。理想を掲げつつ、制約の中で実行可能な手段を積み重ねていく。その過程でHVOという代替燃料が選ばれました。
パリのバスは今日も変わらぬ姿で街を走っています。しかし、その燃料は確実に変わりつつあります。見えない部分で進むこの変化こそが、都市の未来を静かに形づくっているのです。
参考資料:
Le Parisien ‐ Vendredi 26 décembre 2025
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