
双極性障害に特有のバイオマーカー(生体指標)を識別
世界中で双極性障害に苦しむ人は1億3500万人にのぼります。しかしこの数字には、誤診や未診断のまま放置されている多くの患者が含まれていません。特に、双極性障害はうつ病と症状が似ているため、診断が非常に難しく、しばしば見逃されたり誤った治療を受けたりすることがあります。その結果、本人の苦痛はもちろん、社会的にも巨額な医療コストが発生しています。
このような課題に対し、2023年8月に創業したスタートアップ「Psykonos(プシコノス)」は、画期的な解決策を提示しています。同社の目標は、世界で初めて双極性障害を特定できる信頼性の高い血液検査を商業化することです。この検査により、精神科医の診断を補完し、より早期かつ正確な対応が可能になると期待されています。
科学的ブレイクスルーから生まれたスタートアップ
Psykonosは、フランスの技術移転機関から生まれたスタートアップであり、その中心には精神医学と免疫学という二つの分野をつなぐ重要な発見があります。この血液検査は、双極性障害に特有のバイオマーカー(生体指標)を識別するという、特許取得済みの技術に基づいています。
この発見を主導したのは、モンペリエ大学病院の精神科医であり、マルセイユの双極性障害専門センターの責任者でもあるラウル・ベルゾー医師(46歳)と、免疫学の研究者ニコラ・グライシェンハウス博士(63歳)です。彼らはそれぞれ、2016年と2022年に精神疾患の革新に対して授与されるマルセル・ダッソー賞を受賞しています。
この科学的基盤に加え、経営面での舵取りを担うのは、MBAを持ち、複数の企業を創業してきたシリアル・アントレプレナーのグレゴリー・ペロー氏(54歳)です。彼は金融の専門知識と企業経営の経験を活かし、Psykonosを本格的に成長軌道に乗せようとしています。
目的は精神科医の支援、患者への早期対応
Psykonosのビジョンは、精神科医の役割を代替するのではなく、診断の客観性を高める補助的な手段として血液検査を提供することです。特に、うつ病の初期症状で最初に受診されることの多い一般開業医との連携を深めることに力を入れています。統計によると、患者の約80%は、まずかかりつけ医に相談しているのが現状です。
「血液検査によって、診断を“見える化”することができれば、誤診を減らし、治療の方向性を早期に定められます」とペロー氏は説明します。検査の流れはシンプルです。まず血液を採取し、それをPsykonosが開発した独自のアルゴリズムで解析することで、双極性障害の可能性を判断します。
臨床試験と商業化のステップ
すでにPsykonosは、2023年7月に14万ユーロ(約2200万円)のシード資金を調達しています。今後はさらに325万ユーロ(約5億円)の追加資金を募り、2年間にわたる大規模な臨床試験を実施する計画です。この試験で信頼性が実証されれば、2027年末には血液検査の商業提供を開始する見込みです。
この検査の費用は、1回あたりおよそ250ユーロ(約4万円)を想定しており、フランスの公的医療保険「Assurance Maladie(アシュランス・マラディ)」に対して、将来的な保険適用を申請する方針です。検査が標準医療として広まれば、多くの患者にとってアクセスしやすい診断手段となり、社会全体の医療コスト削減にも貢献するでしょう。
事業計画と成長目標
Psykonosの事業計画は極めて現実的であり、明確な収益化ビジョンを持っています。臨床試験後、2028年には340万ユーロ(約5億5千万円)の売上を見込み、2031年には8300万ユーロ(約135億円)にまで拡大する計画です。
この急成長を支える鍵は、医療機関とのネットワーク構築と、医師による検査の信頼性確保、そしてデータの活用によるアルゴリズムの精度向上にあります。
精神医療におけるパラダイムシフト
精神疾患の診断においては、従来「主観的な症状の聞き取り」が中心であり、医師の経験や判断力に大きく依存していました。Psykonosが取り組む血液検査による客観的診断は、この分野における大きな変革の第一歩といえるでしょう。
将来的には、双極性障害だけでなく、他の精神疾患への応用も視野に入れています。バイオマーカーによる診断が広がれば、予防医療や個別化医療(プレシジョン・メディスン)との連携も進み、精神医療全体の質が大きく向上する可能性があります。