国境の不思議、ホテルの部屋の場所で国が変わる?(Arbezホテル)

国境線がベッドの真ん中を貫くホテルが実在する!フランスとスイスにまたがる奇跡の宿「Arbez」が秘める、驚きの歴史物語。

国境がホテルの部屋を貫いている?

国境って不思議だと思いませんか?
日本だと周りが海なのでピンと来ないと思いますが、国同士が繋がっているうえにEUという共同体に属しているヨーロッパの国々では、歩いていたり、バスに乗っているうちに隣の国に入ってしまうことはしょっちゅう。それでも国境上に建物を建てることは許可されていません。だって税金だとか住民登録とか国籍だとか、役所だって困ってしまうじゃないですか。でもわざと国境の上にホテルを建てることが可能だった例があるんです。

文字通り壁の中を線が走っていて、ハネムーンスイートのダブルベッドのまん中を通過している。つまり、カップルで泊まると、二人がそれぞれ別の国で寝ているということになるんです。
どうしてこんなややこしいことをしたと思います?

その場所の名前は「ホテル・アルベジ(Hôtel Arbez Franco-Suisse)」、別名「アルベジ公国」。スイスとフランスの国境沿い、雪深いジュラ山脈のふもとにある小さな村ラ・キュールにひっそりと存在しています。でもこのホテル、見た目はひっそりしていても、その中に刻まれた歴史はまったくひっそりしていない。密輸業者の機転、戦時中の命がけの救出劇、独立戦争の秘密交渉……、ひとつの建物がこれだけのドラマを抱えているなんて、ちょっと信じがたいくらいです。

25歳の青年が「条約の隙間」を突いた話(1862年)

そもそも、なんでこんな場所が生まれたのか。それはすべて、ひとりの野心的な若者の「抜け目のなさ」から始まりました。

1862年、フランスのナポレオン3世が軍事的な理由からジュラ山脈のダップ谷を欲しがり、フランスとスイスの間で領土交換の条約(ダップ条約)が結ばれることになります。つまり国境線が引き直された。これ自体はよくある話なんですが、ここで「あ、チャンスだ」と気づいた人物がいた。当時25歳のポンテュスという男性です。

彼が目をつけたのは、条約が「調印」されてから「批准」されるまでの空白期間。そして条約の第7条に書かれた「既存の建物は破壊しない」という一文。

つまり、批准される前に建物を完成させてしまえば、「既存の建物」として国境をまたいで存在できるのでは?

そう考えた彼は、スイス当局の制止も無視して、新しい国境線上になる土地に猛スピードで3階建ての建物を建て始めます。そして条約の批准が完了した時には、もう建物は堂々と「既存」の状態に。こうしてフランス側にバー、スイス側に商店という、究極の二国間ビジネスが誕生したわけです。

現在の4代目オーナーのひとり、アレクサンドル・ペイロンはこの場所についてこう語っています。

「この場所とその歴史の美しさは、すべてが混ざり合い、境界が消えていくかのように曖昧になることにあります。ここは本当に、あらゆる可能性が開かれている場所なのです。」

25歳の機転が、160年以上続く奇跡の建物を生んだ。その後にどんな数奇な運命が待っているかも知らずにね。

「階段の7段目」が命を分けた話(第二次世界大戦)

1921年、建物はジュール=ジョゼフ・アルベという人物に買い取られ、ホテルへと生まれ変わります。でも、このホテルが歴史の中で重要な存在へと変わったのは、その20年後でした。

第二次世界大戦中。フランスはナチスドイツに占領されていましたが、スイスは中立を守っていた。そしてここで「国境が建物を貫く」という構造が、思わぬ「抜け穴」になります。

ドイツ兵はフランス領にあるホテルの1階(バーやレストラン)に入ることができた。でも、上の階はスイス領。中立国の領土に、ドイツ兵は国際法上立ち入ることができなかったんです。

その境界線がどこにあったかというと、階段の7段目(諸説あって13段目とも言われているそう)。たった数センチの差が、生と死を分けていた。

当時のオーナー、マックス・アルベと妻のアンジェルは、この「7段目より上のスイス領」を、ユダヤ人や抵抗運動のレジスタンス、イギリス軍のパイロットたちを匿うための聖域として提供し続けました。

マックスは戦後、イスラエルのホロコースト記念館「ヤド・ヴァシェム」から「諸国民の中の正義の人」として表彰されます。そして2013年、なんと当時103歳だったアンジェルが夫の代理としてその勲章を受け取りました。

いくら国境という見えないラインで隔てられているといっても、下の階ではドイツ兵たちがお酒を飲んで談笑している声が聞こえるんだ。匿われている人たちはどんなに怖かっただろう。でもこのホテルがあったおかげで生き延びることができたんだ。

「敵の土地を踏まずに」対話できた場所(アルジェリア独立戦争)

時は流れて1960年代初頭。今度はこのホテルが、国際外交の舞台になります。

長く激しいアルジェリア独立戦争を終結させることになる「エビアン協定」、その予備交渉の場として、このホテルが選ばれたんです。
なぜここが? 答えはシンプルで、「絶対的な中立性」があったから。

フランス代表はフランス側の入口から入る。アルジェリア代表はスイス側の入口から入る。両者は一度も「相手の国の土地」に足を踏み入れることなく、同じテーブルを挟んで対話することができる。

国境線が「壁」ではなく「対話の回廊」になった瞬間です。

緊張感のある外交交渉の場に、それぞれの国の代表団が別々の扉から入ってきて、国境線の上のテーブルで戦争の終結について話し合う。たとえ議論が白熱しても、間にあるラインを踏み超えることはできない。なんだか映画みたいな話ですが、このホテルの構造が、まさに「どちらの陣地でもない場所」を生み出していたんですね。

遊び心で「国家」を作ってしまった話

戦争が終わって、このホテルにも平和な日々が戻ってきました。そこでホテルを継いだ息子さんは、おかしなことを思いつきます。

1958年、当時のオーナーだったマックス・アルベは、なんと自ら「アルベジ公国(L’Arbézie)」の建国を宣言します。政治家のエドガー・フォールがこの場所につけた愛称にインスピレーションを受けて。

この「ミクロネーション(超小国)」、遊びとはいえかなり本格的です。

  • 君主:自らを「プリンス・マックス1世」と名乗る
  • 旗:土地の形に由来する三角形のデザイン
  • 紋章:黄色地に赤いトウヒ(モミの木の一種)
  • 独自通貨:その名も「アルベジ・ルピー」
  • 初代名誉市民:なんとフランス大統領シャルル・ド・ゴール

これ、単なるお遊びに見えるかもしれないけど、国境によって緊張を強いられてきた一家が、ウィットと笑いで仕掛けた「自由の宣言」だったんじゃないかな。法律でも外交でもなく、ユーモアで勝ち取った独立。そこでは訪れる人全員が平等に外国人なんだ。平和を喜んでジョッキを酌み交わす人たちの嬉しそうな顔が想像できるよね。

今も泊まれる!現代のアルベジ体験

ここまで読んで「実際どんなホテルなの?」と気になっている方、現在もちゃんと宿泊できます。4代目のアレクサンドル・ペイロンとベレニス・サリーノが守り続けているこのホテル、泊まるとこんな体験が待っています。

ハネムーンスイートの「国際的な一夜」 国境線がダブルベッドの真ん中を通っています。カップルで眠れば、片方はフランス人として、もう片方はスイス人として目覚める。これ、新婚旅行のエピソードとして一生語れるかもしれませんね。

12号室の「毎朝の国境越え」 部屋自体はスイス領。でもトイレはフランス領。つまり朝のルーティンをこなすたびに国境を越えることになる。このホテルの説明にはさらっと「schizophrenic(分裂症的)」という言葉が使われているんですが、なるほどというべきか。

フレンチとスイスの食べ比べ レストランでは、フランス側のブラッスリー料理(コンテチーズをたっぷり使ったチキン料理「プーレ・ア・ラ・ガストン・ジェラール」)と、スイス側のガストロノミック料理(地元産チーズ「トム・ヴォドワーズ」のソテー)を、国境をまたいで食べ比べることができます。チーズ好きにはたまらない。

運営の「どっちでもある」ややこしさ
ホテルはフランスの会社として登録されているけれど、税金は両国に半分ずつ納めています。フランスで禁煙法が施行されたときは、スイス側のダイニングにも適用されるなど、日々の運営も国境なりのユニークな調整が続いているそう。

Arbezホテルの詳細情報

Hotel Arbez Franco-Suisse

住所:601 Rue de la Frontiere, 39220 Les Rousses, France
電話番号:+33 3 84 60 02 20
評価:Google Mapsにおける評価は5段階中4.3となっており、好評を得ています。各種旅行ウェブサイトでは10段階中6点から8点前後の評価が多く見受けられます。
価格帯:1泊あたりおよそ110ユーロ(約20,300円)から130ユーロ(約24,000円)が目安となります。(2026年3月のレートである1ユーロ約184.5円で計算しています。宿泊時期や部屋のタイプにより変動します。)
詳細:フランスとスイスの国境上に位置する大変珍しい立地の宿泊施設です。館内には無料のWi-Fiや駐車場が完備されており、洗練されたフランス料理のレストランも併設されています。
ウェブサイト:https://arbezie.com/fr/

おわりに:「境界線」って、何のためにあるんだろう

アルベジの話を追いかけていると、国境が過去も現在もどれほど重要なものかはわかるけど、そもそも何のために作られたんだろう、と考えさせられます。
人を隔てるためのもの? でもここでは、国境線が人をつないできた。逃げ場を作り、対話の場を作り、ビジネスを生み、笑いを生んだ。

ジュラ山脈の雪の中、薪の爆ぜる音を聞きながら、あなたはどちらの国で目覚めたいですか?
それとも、国境の「真上」で眠りながら、どこでもない場所の夢を見てみたいですか?

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