
遺伝子治療に頼らずに希少な遺伝性神経変性疾患を治療する経口薬
重い遺伝子治療に頼ることなく、神経変性疾患に対して飲み薬で治療を行う – そんな大胆な挑戦に取り組んでいるのが、フランス・グルノーブルに拠点を置くスタートアップ「HuntX Pharma(ハントエックス・ファーマ)」です。
この企業は、『Challenges』誌が選ぶ「2025年に投資すべきスタートアップ100社」にも名を連ねており、医療業界から大きな注目を集めています。
設立の背景とミッション
HuntX Pharma社は、2022年12月にフランス・グルノーブルで設立されました。創業者は、神経科学博士でありビジネススクールHEC出身のローラ・ジャモ(58歳)氏と、神経生物学者でありグルノーブル神経科学研究所の元所長であるフレデリック・ソウドゥ(57歳)氏です。両名は、研究成果を社会実装する組織SATT Linksiumの支援を受けて起業しました。
彼らの目標は、遺伝子治療に頼ることなく、日常的に服用できる経口薬を開発し、患者が自宅で簡単に治療を受けられる仕組みを提供することです。
難病・ハンチントン病に新たな希望
HuntX Pharmaの第一のターゲットは、「ハンチントン病」と呼ばれる遺伝性の神経変性疾患です。この病気は現在、世界で約30万人、フランス国内では約1万8000人が苦しんでいます。現時点では完治させる治療法が存在せず、症状の進行を遅らせる程度の対症療法しか選択肢がありません。
「患者は30代から40代のうちに運動障害、認知障害、精神症状などを発症し、20年ほどかけて徐々に症状が悪化して最終的には命を落とします」と語るのは、共同創業者のローラ・ジャモ氏(58歳)です。彼女は神経科学の博士号を持ち、さらに名門ビジネススクールHECの卒業生という異色の経歴を持っています。
この病気は患者本人だけでなく、医療制度にも大きな負担を与えています。ヨーロッパ全体では、患者のケアにかかる年間コストが150億ユーロ(約2兆4000億円)を超えるとも試算されています。
「飲み薬」で遺伝性疾患を治療するという新発想
HuntX Pharmaの最大の特徴は、こうした難治性の遺伝性神経疾患に対して、重厚な遺伝子治療を行うのではなく、毎日自宅で服用できる飲み薬を用いることで症状の改善を図る点です。この革新的なアプローチは、多くの患者と家族にとって希望となるものです。
この新薬は、「ハンチンチン」と呼ばれる遺伝子が持つ、本来の機能を回復させる働きがあります。この遺伝子は、脳の「皮質」と「線条体」という2つの領域の間で“生存因子”と呼ばれる重要な物質を運ぶ役割を担っているのですが、遺伝子の変異によってこの輸送機能(軸索輸送)が阻害され、神経細胞の機能が破綻していきます。
HuntX Pharmaが開発した新薬は、APT1という酵素を阻害することで、この軸索輸送機能を正常な状態に戻すことができるという仕組みです。こうした革新的な作用機序により、遺伝子そのものを改変することなく、病気の進行を抑制または改善する可能性が期待されています。
この成果をもとに、同社は2024年7月にビジネスエンジェルや患者家族の投資家から170万ユーロを調達し、さらにフランス政府主催の技術革新コンペ「i-Lab」においても受賞するなど、高い評価を受けています。
治験・商用化に向けた今後のスケジュール
今後、HuntX Pharmaは2026年から第一相臨床試験(ヒトでの安全性確認)を開始する予定です。さらに、2027年から2030年にかけて、効果を検証する第二相臨床試験へと進む見込みです。すべてが順調に進めば、2032年にはヨーロッパおよびアメリカでの薬剤承認・販売開始が現実となります。
この計画の実現に向けて、同社は2025年中に追加で500万ユーロの資金調達を目指しています。この資金は臨床試験の推進に使われるとともに、将来的には事業のスケールアップや他疾患への応用に充てられる予定です。
目指すのは買収かライセンス契約
バイオテクノロジー業界では一般的な展開として、HuntX Pharmaも将来的には大手製薬会社への事業売却、もしくはそれぞれの薬剤や適応疾患ごとにライセンス契約を結ぶことを視野に入れています。実際に、神経疾患における軸索輸送障害はハンチントン病だけでなく、50種類以上の疾患に関与していることが知られています。
例えば、重度の知的障害やてんかんなどを引き起こす「レット症候群」もそのひとつであり、HuntX Pharmaはすでに同疾患に対する新しいアプローチについても特許を取得しています。このように、同社は1つの疾患にとどまらず、広範な適応症への展開を構想しているのです。
表彰と今後の注目
こうした取り組みが評価され、HuntX Pharmaは2025年の「Medtech & Biotech」カテゴリーで審査員特別賞を受賞し、3月26日にパレ・ブルニャールで開催されたスタートアップ向けピッチイベント「パトリック・フォコンニエ賞」にも出場しています。
基本的な情報
- 企業名:HuntX Pharma(ハントエックス・ファーマ)
- 設立:2022年12月
- 創業者:
- ローラ・ジャモ(神経科学博士、HEC卒)
- フレデリック・ソウドゥ(神経生物学者、元グルノーブル神経科学研究所所長)
- 所在地:フランス・グルノーブル
- 技術内容:APT1酵素の阻害を通じて、軸索輸送の正常化を図る経口薬(ハンチンチン遺伝子機能回復)
- 主な用途:ハンチントン病治療(経口薬による在宅治療)
- 現在の状況:
- 候補薬の特許取得済み
- 前臨床試験中
- 2024年に170万ユーロ(約2億7200万円)を調達済み
- 政府系i-Lab賞など複数受賞
- 商業化の進行状況:
- 第1相臨床試験:2026年開始予定
- 第2相臨床試験:2027〜2030年
- 商業化開始:2032年(欧州・米国)
- 目標資金調達額:500万ユーロ(約8億円)
- ターゲット顧客:希少神経疾患を抱える患者とその家族、医療機関
- 想定ユーザー:自宅で経口薬を服用する患者(特にハンチントン病患者)
- 対象市場:
- ハンチントン病:約30万人(世界)、1.8万人(フランス)
- 軸索輸送障害を伴う疾患:50以上(例:レット症候群)
- 売上見通し:2032年以降の商業化によって欧米市場での収益化を目指す
- 出口戦略:バイオ企業への売却または製薬会社とのライセンス契約
