
感覚刺激によってアルツハイマー病の進行を遅らせる新たな治療
アルツハイマー病は、世界中で何百万人もの人々が苦しむ神経変性疾患であり、高齢化社会を迎える中でその影響はますます深刻化しています。にもかかわらず、世界の製薬業界が長年にわたって数十億ユーロを投じてきたにもかかわらず、有効性が証明された治療薬はいまだ登場していません。
そうした中、パリに拠点を置くスタートアップ「Clarity(クラリティ)」は、まったく新しいアプローチを提示しています。薬に頼らず、「感覚刺激」によってアルツハイマー病の進行を遅らせようというのです。この革新的な取り組みにより、Clarityは『Challenges』誌による「2025年に投資すべきスタートアップ100社」に選出されました。
音と光で「脳の周波数」を再活性化
Clarityの共同創業者であるラファエル・サーテン氏(26歳)は、神経科学とHEC経営大学院の起業家修士課程(X-HEC Entrepreneurs)を修了した若き起業家です。彼は18歳でAI分野のスタートアップを立ち上げた経験を持ち、神経科学への深い知見と起業家精神を併せ持っています。
彼によれば、「特定の周波数の音と光を使って脳内のガンマ波(30〜80ヘルツ)の活動を再活性化することで、炎症反応を抑制し、神経保護効果を生み出します。これにより、認知機能の維持が期待できます」とのことです。
この技術的アプローチを共に開発しているのが、神経科学の博士号を持ち、オックスフォード大学で臨床神経科学の研究に従事したキャロリーナ・レイス氏(32歳)です。彼女は非薬物療法を専門に研究を続けており、その経験がClarityの治療法開発に大きく貢献しています。
ラファエル氏が注目したのは、脳内の「ガンマ波」と呼ばれる脳波の一種です。これは30〜80Hzの周波数帯に属し、注意力や記憶、学習に関係するとされます。彼によれば、「特定の周波数の音や光で脳を刺激することで、ガンマ波の活動を再活性化できます。それにより、脳内の炎症反応が抑えられ、神経細胞の保護が促進されるのです」と語ります。つまり、薬を使うことなく、脳の自然なリズムを整えることで神経の劣化を防ごうというアプローチです。
この療法は「神経保護効果(neuroprotective effect)」をもたらすとされており、アルツハイマー病の進行を緩やかにし、患者の認知機能をできる限り維持することが期待されています。
治療は「VRヘッドセット」×「感覚刺激アプリ」で実施
Clarityの治療法は、VR(仮想現実)技術を活用して提供されます。具体的には、VRヘッドセットを用い、専用の感覚刺激アプリと連携させることで、患者に対し視覚・聴覚の両方から刺激を与えます。治療セッションはゲーム形式で行われることもあり、患者にとって「楽しく続けられる」ことも意識した設計です。
また、患者自身の家族写真や動画に音声刺激を組み合わせることで、感情や記憶と関連づけた体験型治療も可能となっています。これにより、認知症患者特有の「孤立感」や「無関心」を軽減する効果も期待されています。
現在、この治療デバイスは6つの特許によって保護されており、さらに50件ほどの特許出願が準備中です。
国際的な臨床研究体制と知財戦略
フランス国内での拠点はパリに置かれており、これまでに160万ユーロ(約2億6000万円)の資金をエンジェル投資家やベンチャーキャピタル、さらにフランスの国家支援プログラム「France 2030」から調達しています。この資金は、アメリカ・UCSF(カリフォルニア大学サンフランシスコ校)を含む6つの大学と連携して臨床試験を開始するために活用されています。
また、Clarityはフランスの「聴覚研究所(Institut de l’audition)」とも提携しており、産業界の連携体「Brain & Mind」からも技術的および財政的な支援を受けています。
同社は2026年に実施予定の臨床試験に向けて新たな患者を募集し、あわせてヘッドセットの製造体制を整えるため、追加で800万ユーロ(約13億円)の資金調達を計画しています。さらに、アルツハイマー病に限らず、多発性硬化症など他の神経変性疾患への応用展開も視野に入れています。
商業化は2028年、まずはアメリカ市場から
Clarityは現在、さらなる800万ユーロ(約12億8千万円)の資金調達を目指しています。この資金は、以下の3つの柱に使われる予定です:
- 2026年に予定されている大規模臨床試験に向けた患者募集
- 治療用VRヘッドセットの量産体制の構築
- 複数の神経疾患(特に多発性硬化症)への治療法の応用拡張
同社の目標は、2028年の商業化です。初期市場としてはアメリカを想定しており、高齢者向け公的医療保険制度「Medicare」による最大80%の費用負担を受けられるよう働きかけています。
初年度には約3,000人の患者が治療を受けると想定し、2,000万ユーロ(約32億円)の売上を目指しています。
科学と人間性の融合 ー「心地よい治療」で社会に光を
従来、アルツハイマー病の治療は、薬物によるアプローチが主流でした。しかし、数多くの治験が失敗に終わり、進行を確実に抑える手段は今なお見つかっていません。Clarityは、この現状に一石を投じ、「薬を使わずに、脳自身の力を引き出す」ことを目指します。
この非薬物的アプローチは、薬との併用も可能であり、軽度認知障害(MCI)など、早期段階の患者にも大きな恩恵をもたらす可能性があります。また、治療への「参加意欲」を高める設計は、介護現場や在宅ケアにも大きな可能性を広げるものです。Clarityの取り組みは、アルツハイマーという治療困難な疾患に対して、従来の「薬」に依存しない選択肢を提示する点で非常に意義深いものです。
また、感覚刺激という身体にやさしい手法で、継続可能かつ副作用の少ない治療を提供することは、高齢者医療の分野において重要な前進となります。医療技術の進化とともに、「治療の質」と「人生の質」を両立させようとするClarityの姿勢は、今後のヘルスケアの在り方に一石を投じるものとなるでしょう。
基本的な情報
- 企業名:Clarity(クラリティ)
- 設立:2022年
- 創業者:ラファエル・サーテン(26歳)、キャロリーナ・レイス(32歳)
- 所在地:フランス・パリ
- 技術内容:音と光を用いた感覚刺激による脳内ガンマ波の再活性化(30〜80Hz)、神経保護効果を通じて認知機能の維持を図る
- 主な用途:アルツハイマー病の進行抑制、将来的には多発性硬化症などへの応用も検討
- 治療提供手段:VRヘッドセット+専用アプリによる感覚刺激エクササイズ、ゲーム形式や家族写真活用により患者の継続を促進
- 現在の状況:臨床試験開始済み(UCSFなど6大学と連携)、研究機関や産業コンソーシアムからの支援あり
- 商業化の進行状況:2028年に米国市場から商業化予定、Medicareによる最大80%の保険適用を目指す
- 目標資金調達額:800万ユーロ(約13億円)
- これまでの調達額:160万ユーロ(約2億6000万円)
- ターゲット顧客:アルツハイマー病患者、将来的には多発性硬化症患者
- 想定ユーザー:高齢者・その家族、介護施設、医療機関
- 対象市場:主に米国(Medicare対象)、その後欧州やアジアも視野に
- 売上見通し:初年度3,000人の患者で2,000万ユーロ(約32億5000万円)の売上を想定