
体外受精の安全性を高めるための装置
体外受精(FIV=fécondation in vitro)は、1978年の初成功以来、世界中で数百万件の命を誕生させてきた不妊治療の王道ですが、その実態は今も手作業に頼る部分が多く、成功率や手技の質は施設ごとにばらつきがあります。
そうした現状に一石を投じようとしているのが、パリ発のスタートアップ MovaLife(モヴァライフ) です。同社は、体外受精の一連のプロセスを安全かつ自動化するための革新的なミニチュア装置を開発しました。この取り組みは、フランス経済誌『Challenges』が選出する「2025年に投資すべきスタートアップ100社」にも選ばれています。
細胞をレゴのように扱う?手作業の限界を感じて
創業者のエディソン・ヘネラ氏(35歳)は、パリ・ソルボンヌ大学の「知能システム・ロボティクス研究所(ISIR)」で細胞操作の博士課程を修了した研究者です。彼は長年、複数の生殖補助医療(PMA)ラボを訪問する中で、次のような印象を持ったと語ります。「細胞を操作するのは、工事現場のクレーンでレゴを動かすようなものです。ペトリ皿を手で持って移動させたり、わずかな温度差や振動が胚にダメージを与えている光景に違和感を覚えました」
体外受精では、顕微鏡下で胚培養士(エンブリオロジスト)が、精子を選び、卵子に注入するという非常に繊細な作業を手作業で行っています。そのため、操作する人間の経験や手技の巧拙が成功率に大きく影響するのが現実です。
マイクロロボット×マイクロ流体チップでFIVを自動化
そこで、エディソン氏が着目したのが、マイクロフルイディクス(微小流体技術)とマイクロロボットの融合です。
- マイクロフルイディクス:1枚のチップの中で液体を制御し、化学反応や細胞操作を行う技術。
- マイクロロボット:人の操作で遠隔制御できる微小なロボット機構。
この2つを組み合わせることで、FIVの全工程(卵子と精子の操作、受精、培養)を1つの小型装置の中で安全かつ自動で行える世界初のプロトタイプが誕生しました。ペトリ皿の手運びや顕微鏡下の手作業を省き、温度や振動のストレスから胚を守ることができます。
医師・研究者・起業家のタッグでMovaLife誕生
この技術を実用化するため、2023年10月、エディソン氏はスタートアップ MovaLife(モヴァライフ) を創業しました。彼はこの事業において、実務と経営の両輪を担う優れたパートナーたちを迎えています。
- レイチェル・ルヴィ氏とシャルロット・デュポン氏:病院でPMAラボを運営する医師。
- エリック・ラメニエール氏:複数の起業経験を持つベテラン経営者。
- シナン・ハリヨ教授:ISIRのマイクロロボティクス専門家。
この多様な専門家チームにより、技術の実用化、臨床適用、ビジネス展開を同時に進められる体制が整っています。
MovaLifeは、フランス政府主催の技術系スタートアップ支援賞「iLab」および「iPhD」を受賞し、官民の高い評価を得ています。
まずは動物実験から臨床へ 6年後の製品化目指す
現在、同社は170万ユーロの投資プログラムのうち、70万ユーロ(約1億1000万円)の資金調達を目指しています。この資金で以下を実施します:
- 動物モデルでの有効性実証試験
- パートナーはフランス国立農業・環境研究所(INRAE)
- 倫理委員会の承認取得
- 人体への応用に向けて臨床試験開始を準備
このプロセスを経て、6年後(2030年頃)にCEマークの取得と商用化を目指しています。ターゲット市場は、生殖補助医療を行う生物学研究ラボおよび医療機関で、今後の高齢出産や不妊治療の需要増に伴い、世界的に拡大が見込まれる分野です。
PMA技術の新たな標準を目指して
MovaLifeが提案するのは、既存のFIVプロセスの延長ではなく、まったく新しいパラダイムです。細胞を痛めることなく、高精度かつ再現性の高い操作を可能にする同社の技術は、将来的にFIV成功率の大幅な向上につながると期待されています。
また、医師のスキルへの依存を減らすことで、どの施設でも一定の品質で治療を行えるようになり、不妊治療における格差の是正にもつながる可能性があります。
