
ラシダ・ダティ文化相とは?
ラシダ・ダティ(Rachida Dati)はフランスの政治家で元裁判官であり、2024年1月から文化大臣を務めています。2007年から2009年、ニコラ・サルコジ政権下で法務大臣を担当し、フランス初のムスリム(イスラム教の信者)の女性閣僚となりました。ダティは2009年から2019年まで欧州議会議員として活動し、テロ対策や若者の過激化防止に関する報告書を作成しました。同時に、2008年から3期にわたりパリ7区の区長も務めました。
(※読みやすさを優先し、文中の敬称は省略します。)
2020年にはパリ市長選にも立候補しましたが、現職のアンヌ・イダルゴに敗れています。現在、ダティは元ルノー・日産のCEOカルロス・ゴーンとともに、コンサルタント契約を巡る汚職・ロビー活動疑惑で起訴されており、ルノーからの支払いが違法なロビー活動によるものかどうかに注目が集まっています。
生い立ち
ラシダ・ダティは1965年11月27日、フランス・ブルゴーニュ地方サン・レミー(ソーヌ=エ=ロワール県)に、モロッコ出身のレンガ職人の父とアルジェリア出身の母との間に11人兄弟の第2子として生まれました。郊外の家賃の安い集合住宅でマグレブ系移民二世として育ち、貧しい環境の中で幼少期を過ごしました。
しかし幼い頃からずば抜けて聡明であり、家計の困難を自力で乗り越えるべく、中学校を卒業後、さまざまな仕事をしながら学び続けました。
宗教に関する矛盾
ラシダ・ダティの両親はムスリム(イスラム教徒)であり、彼女自身もムスリムとして育ちました。しかし、自らの意思で「Servantes du Saint‑Sacrement」という宗教系修道会が運営する私立カトリックの中学校に進学しました。
公立より学費が高いうえに、学力重視というより宗教的教育と規律重視の校風で、ムスリムで貧しい家庭出身でも学力優秀なダティが、なぜわざわざ学費の高いカトリックの学校を選んだのか、なぜ学力重視の進学校を選ばなかったのか、という矛盾があり、また後年にも教会に足を運ぶ姿が見られたため、「キリスト教に改宗したのでは?」との噂が広まりました。これに対し、ダティ本人は明確に改宗を否定し、「自分はムスリムだ」と強く主張しています。
教育と初期のキャリア
16歳になると、メイドや看護助手として夜間に働きながらディジョンのブルゴーニュ大学で学び、エルフ・アキテーヌ社(Elf Aquitaine)に3年間勤めつつ経済学の修士号を取得します。卒業後は、ラガルデール傘下のマトラ社(Matra Communication)に会計監査部門のスタッフとして就職しました。
その後、欧州復興開発銀行(EBRD)のロンドン事務所に移り、記録管理部門で勤務。1994年にはスエズ(当時のリヨンナーズ・デゾー)で都市開発研究本部長および監査役を務め、さらに1995〜97年には国民教育省の法務部門に技術顧問として勤務しました。若くして責任あるポストを歴任し、20代にして既に、経済界のエリートとして異例のキャリアを築いていました。
経済界から法曹界へ
1997年、ダティは国立司法学院(ENM)に入学し、1999年卒業後はボビニー高等裁判所で法務監査官としてのキャリアを開始しました。さらに、ペロンヌ高等裁判所では集団手続きを扱う判事、エヴリー裁判所では検事総長補佐官を務め、法的な専門知識を深めつつ、司法制度における重要な役割を担うこととなりました。
政治への転身
2002年、ラシダ・ダティはニコラ・サルコジ内相の顧問として政治に参入。特に軽犯罪防止プロジェクトに携わり、都市部の治安問題に対して地域社会との連携を強化する新たな政策を提案しました。
このプロジェクトは都市部の犯罪抑制を主眼とし、地域社会との連携強化を目的としていました。ダティのこの取り組みは、後に果たす政治的役割の基盤を築くものであり、彼女の政治活動の重要な出発点となりました。
女サルコジの異名をとる攻撃的な弁舌と上昇志向
2006年、ダティは国民運動連合(UMP)に参加し、2007年の大統領選ではサルコジ候補のスポークスパーソンを務めました。彼女の起用は、サルコジ政権が掲げた「多様性」の象徴とされ、移民出身の女性としてフランス社会に新しい視点を提示しました。ダティは選挙期間中、サルコジの政策を広く伝える役割を果たし、自らの政治影響力を高めました。
アラブ移民の子として初の主要閣僚就任
2007年5月には41歳で法務大臣に任命され、アラブ出身の移民二世としてフランス初となる主要閣僚に就任。法務大臣としては、法制度改革や社会的公正を推進する政策を実施し、フランス社会における法の支配の強化に注力し、特に犯罪防止や社会統合に関する法律整備に尽力しました。
この取り組みにより、北アフリカ系初の閣僚として歴史に名を刻みました。彼女の存在は、多様性の象徴となり、移民の子どもたちにとってのロールモデルとしても注目されました。
パリ7区の区長に選出
2008年、ダティは法務大臣としての任期と並行して、パリ第7区の区長に立候補し当選しました。これは法務省のトップから地方政治への転身という珍しいキャリア選択ですが、将来的にパリ全体や国家レベルの政治プレーヤーになるための足がかりと考えた可能性があります。
特筆すべきは、彼女の経歴やバックグラウンドが活かせる「移民が多い地域」ではなく、伝統的に貴族層や上流階級が居住するフランス屈指の高級住宅地である第7区を選んだことです。この選択が、ダティの政治的上昇志向や、多様性とフレンチエリート層への受容性を兼ね備えた象徴的存在としてのイメージ構築に資したのではないかと分析されています。
第7区はエッフェル塔を含むセーヌ左岸に位置し、裕福な貴族系住民が多く住む極めて保守的な選挙区です。ムスリム出身でありながらカトリック系の学校に通ったという経歴が、カトリックの信者が多く保守的な有権者にも受け入れられやすかったと見られています。そこまで計算して中学校を選んでいたとしたら驚きですが、ダティならその可能性も考えられます。
批判を受けながらも司法制度の改革を訴え続けた
ダティは司法制度の合理化と裁判所の効率向上を目的に、大規模な改革を断行しました。法域の再編成や裁判所の統廃合を進めることで、法的手続きの迅速化と司法資源の最適化を実現しました。これにより、フランス会計検査院(Cour des comptes)から「司法制度における最も意欲的な改革の一つ」と高く評価されています。
一方で、司法の専門家からの反発も強く、特に未成年者に対する厳罰主義や厳格な法的措置などに関して、判事・検察官・司法関係者たちが抗議の声をあげました。彼らの多くは、協議不足で強引に改革を進めたとして批判しました。さらに、ダティの強圧的な管理スタイルにより、側近の補佐官が連鎖退任する事態にも発展しました。
それでもダティは「司法制度改革の必然性」を訴え続け、改革は長期的には司法制度の信頼性向上に寄与すると評価されました。フランスの司法にとって重要な転換点となったこの改革を通じ、彼女は改革への努力を最後まで続けました。ただし、2008年にパリ第7区の区長に就任した影響で、2009年には法務大臣を退任しています。
法務大臣を退任した理由


2009年の欧州議会選挙に立候補することが決まり、当選すると法務大臣との兼任が難しくなるため、辞任が不可避となりました。サルコジ大統領自身も「閣僚と欧州議会議員の兼任はできない」と明言しており、この決断が辞任を促す要因となったとみられます。
さらに、司法改革を進める過程で法曹界からの強い批判や補佐官の離脱が相次ぎ、内部の不満や抵抗感が政治的な重荷となりました。こうした環境の変化が、彼女の政権内での立場に変化をもたらしたとも考えられます。
個人的な事情も影響しました。2009年1月に帝王切開で出産し、その直後に職務に復帰したことは、育児と職務の両立に関する社会的議論を巻き起こしました。シングルマザーとしての立場や、私生活に対するメディアの関心は、政治家としての彼女にとってプレッシャーとなったのです。
最後に、サルコジとの関係性の変化も辞任に影響した可能性があります。司法改革が法曹界の支持を得られなかったことを受け、サルコジからの支援が徐々に後退し、政治的な方向転換が促されたともいわれています。
このように、ダティの法務大臣辞任は、改革への強い意思と、それに伴う政治・社会・個人的な変化が複合的に作用した結果だと考えられます。その後、彼女は欧州議会議員や地方政治の場で新たな舞台に挑み、自らの政治キャリアを柔軟に再構築していくことになります。
欧州議会での活動
ダティは2009年から2019年まで欧州議会議員として活躍し、特にテロ対策や若者の過激化防止に深く関わりました。EU市民がテロ組織に勧誘されるのを防ぐため、彼女は委員会の報告者として政策報告書を作成し、欧州レベルで具体的な予防策を提言しました。
特に、教育プログラムや地域コミュニティの支援が若者の過激思想への影響を抑える鍵であると強調し、EU政策に大きな影響を与えました。これにより議会内で彼女の発言力が増し、テロ対策の分野で重要な存在となりました。
さらに、ダティは欧州人民党グループに所属し、移民政策や治安問題といった国際的課題にも積極対応しました。保守的な視点から政策を主張し、かつての法務大臣としての経験を生かして法的な枠組み整備にも貢献。これらの取り組みによって、フランス内外の政治的議論の中で彼女の影響力は一層強まりました。
文化大臣としての役割
文化大臣としての現在においても、ダティは新たな挑戦を続けています。2024年1月、エマニュエル・マクロン大統領のガブリエル・アタル内閣によって文化大臣に任命され、フランス初のムスリム系女性閣僚という歴史的な意味をもって就任しました。
彼女は地方の文化アクセスを拡充する計画を掲げ、文化遺産保護や地方自治体との連携を推進しています。特に、都市と地方の文化的格差を是正すべく、「キャンプ場での文化体験夏祭り」など斬新な取り組みを導入し、一般市民の間にも文化を浸透させようとしています。
文化界からは予算削減や政策の方向に対する懸念も示されており、ダティの任命には一部文化界から批判もありますが、彼女は文化の普及と保護に注力しています。とくに過去の政治的立場やスキャンダルが影響し、一部で懸念の声も上がっているものの、彼女は文化政策の重要性を強調し、フランス文化的アイデンティティの維持に注力する姿勢を示しています。
政治的影響と評価
ダティの欧州議会時代の活動は、報告者としての政策提言を通じてEU全体の安全保障と社会統合に影響を及ぼし、文化大臣としては地方への文化アクセス拡大と遺産保護を主導するなど、多岐にわたる政治的役割を果たしています。
彼女の法的・政治的経験は、司法からEU、さらには文化行政へと幅広く展開され、現在もフランスの政治舞台で独自の存在感を放っています。
項目 | 内容 |
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出生・出身 | 1965年11月27日、ブルゴーニュ地方のサン=レミ(ソーヌ=エ=ロワール県)に生まれ、モロッコ人の父とアルジェリア人の母の間に11人兄弟の2番目として育つ |
初等〜高校教育 | カトリック系私立中学に通い、中流の公立高校を卒業(1983年バカロレア取得) |
大学学歴 | ディジョン大学(ブルゴーニュ大学)にて経済学修士号、パリ・パンテオン=アサス大学で公法の学士・修士号取得 |
司法教育 | 1997〜1999年にボルドー国立司法学院(ENM)に書類選抜で入学し、受任裁判官として就任 |
職歴(初期) | Elf Aquitaine会計担当、Matra Nortonでの監査、ロンドンの欧州復興開発銀行勤務、Suez・Lyonnaise des Eauxで都市開発関連業務 |
司法・行政キャリア | ボビニー高等裁判所で法務監査官、ペロンヌ高裁で集団手続き判事、エヴリー検事総長補佐など法曹の役職を歴任 |
政治キャリア初期 | 2002年にサルコジ内相の顧問に就任、2006年にUMP入党後2007年大統領選でサルコジのスポークスパーソンに & 法相へ任命(2007‑2009年) |
地元政治 | 2008年からパリ第7区の区長、同時にパリ市議会議員として活動(現職) |
欧州議会 | 2009年7月〜2019年7月まで欧州議会議員。テロ対策や過激化防止政策の報告者として影響力を発揮 |
文化大臣 | 2024年1月よりガブリエル・アタル内閣、その後バルニエ・バユ政権で文化大臣を務める |
私生活「私の私生活は込み入っている」
ダティは、自身の私生活について「私の私生活は込み入っている」と表現することがあるほど、極めて複雑な状況に直面してきました。2009年1月、彼女はシングルマザーとして娘ゾーラを出産しましたが、父親は長い間公表されず、メディアでは様々な憶測が飛び交いました。
そして2012年10月に、ダティはドミニク・デセーニュ(Groupe Lucien Barrière元CEO)に対し、娘の父親であると公表し、養育費と相続権を求めて法的手続きを開始しました。ヴェルサイユ裁判所はDNA検査を命じましたが、デセーニュはこれを拒否しました。フランスの法律では、相手が検査を拒むことで、裁判所が自動的に父親と認定することが可能です。
その後の法廷闘争は激しく、デセーニュは当初、「ダティには当時8人もの交際相手がいた、70歳の自分が幼いゾーラの父親であるとは到底思えない。私の子だという確証があったなら、なぜ出産する前に私に打ち明けず、3年も経過してから突然公表するのか?」と主張しましたが、2014年10月の初審判決では裁判所は彼をゾーラの父と認定し、出生時までさかのぼって月額養育費の支払いを命じました。控訴しても判決は覆らず、この認定と支払義務は維持されることとなりました。
カジノ王ドミニク・デセーニュとは


1944年8月19日生まれのドミニク・デセーニュは、地方の家庭に生まれ、パリに出てソルボンヌ大学で法学を修め、不動産公証人として活動していました。身長191センチのスポーツマンでプレイボーイとして知られ、カジノ王ルシアン・バリエールの養女ダイアンと結婚し、社交界の主役となりました。1995年の飛行機事故で妻が四肢麻痺となり、2001年に彼女が亡くなると、正式にグループを継承し、2001年から2023年までCEO兼会長を務めました。
Barrièreグループは、フランスを中心に32軒以上のカジノ、19軒の高級ホテル、約150のレストラン・バー、ゴルフやスパ施設などを運営する巨大レジャー複合グループであり、その規模と影響力は極めて大きなものです。
当時のドミニク・デセーニュの資産は、約17億ドル(約2.51兆円)で、世界ランキングでもフランスのトップクラスの富豪であり、妻ダイアンとの息子と娘、そしてダティの娘であるゾーラが法的に相続権を持つことになれば、ゾーラは幼いながら大富豪となる可能性が浮上しました。
スキャンダルによるダメージ
法務大臣時代にシングルマザーとなったことは、一般市民、特に女性からの評価を下げることはありませんでした。フランスでは結婚制度に頼らず母親になる選択は珍しくなく、むしろ母親と大臣という二重の役割を両立させていることへの支持も多かったのです。
しかし一変するのは2013年、娘の相続権と養育費支払いを巡って訴訟を起こした時でした。妊娠したことを相手に告げずに、出産して数年経ってから突然、養育費及び相続権を裁判により請求するやり方は同性から見てもフェアではないという声が高まり、法務大臣でありながら法廷を通じて巨額の富を得ようとする姿勢に、「強欲すぎる」との批判が巻き起こりました。しかも相続権と言っても普通の家庭とは違い、相手は約2.5兆円の資産家ですから、Barrièreグループを巻き込む一大スキャンダルとなるのは明白でした。
一方、ドミニク・デセーニュ自身も逆玉の輿のプレイボーイとして知られていた一方、妻ダイアンが飛行機事故で四肢麻痺となってからは、甲斐甲斐しく看病する姿がメディアに取り上げられ、人々の感動を呼びました。しかしダティとの暴露合戦の中で複数の愛人関係が明らかになると、彼のイメージも大きく損なわれました。
さらに2018年以降、ドミニクがCEO兼会長を務めたBarrièreグループでは長男アレクサンドルとの間で経営権を巡る深刻な対立が発生し、法廷闘争にまで発展しました。2023年には彼がグループのすべての経営権を失うという結果となり、Barrière家の内部摩擦・相続問題が世間に露呈しました。
こうした一連のスキャンダルについて、ダティはプライバシーを侵害されたとして複数のメディアを訴えましたが、自らがスキャンダルの原因を作り、多くの人を巻き込んだという批判の声が多く、政治家としての信頼性やリーダーとしてのイメージに大きな傷を残す結果となりました。
元ルノーCEOのカルロス・ゴーンと共に、不正疑惑で公判へ

2025年7月22日、フランスの裁判所は、ラシダ・ダティ文化相(元法務大臣)とカルロス・ゴーン元ルノー・日産アライアンスCEOを、収賄および影響力の乱用などの罪でパリ刑事裁判所に送致すると決定しました。
司法当局によると、両者は2010年から2012年にかけてルノーとナント基盤の子会社RNBV(オランダ法人)がダティに対し約90万ユーロ(日本円で約1億5千万円)の報酬を支払ったものの、実際の業務内容が確認されず、EU議会における不正なロビー活動の疑いが持たれています。
起訴要求は2024年11月にフランス国家財務検察局(PNF)から提出され、調査は2019年から継続されていたものです。
ラシダ・ダティの罪状
ラシダ・ダティは以下の罪状で告発されました:
- 収賄の受領(corruption passive)
- 職権乱用の隠蔽(recel d’abus de pouvoir / d’abus de confiance)
- 影響力取引の受動的関与(influence peddling)
カルロス・ゴーンの罪状
カルロス・ゴーンには、企業幹部として以下のような罪状が科せられています:
- 権力の乱用(abuse of power)
- 信用の裏切り(abuse of trust)
- 積極的な汚職と影響力取引(active corruption and influence peddling)
有罪時に想定される刑罰
被告 | 罪名 | 刑罰内容(推定) |
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ラシダ・ダティ | 受託収賄(passive corruption)、 影響力取引、職権乱用・信頼違反 |
最大10年懲役・100万ユーロ罰金、 資格停止(最多5年)、資産没収や公職剥奪の可能性あり |
カルロス・ゴーン | 企業役員による権力乱用、 信頼の裏切り、積極的収賄・影響力取引 |
最大10年懲役・100万ユーロ罰金、 民間資格剥奪、財産没収等、副次制裁も想定 |
ラシダ・ダティ、ニコラ・サルコジ、カルロス・ゴーンの起訴内容まとめ
人物 | 起訴または有罪内容 |
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ラシダ・ダティ |
欧州議会議員在任中(2009–2019)、ルノー‐日産のオランダ法人(RNBV)と結んだ契約名目で 2010〜2012年に約90万ユーロを受け取ったとされる。報酬の名目は法的アドバイスだが、実質的な業務がなく、議会においてルノー側の利益を促進する違法ロビー活動ではないかとされ、 「受託収賄」「影響力取引」「権力濫用」「背任」の疑いで2025年7月、パリ刑事裁判所に送致され、公判が予定されている。初回予備審問は2025年9月29日予定。 |
カルロス・ゴーン |
元ルノー・日産CEOとして、RNBV経由でラシダ・ダティへの支払いに関与したとされ、 フランスでは「企業重役による権力濫用」「背任」「能動的収賄」「影響力取引」の疑いがあり、ダティとともに同事件で送致され、公判が予定されている。ゴーンは現在レバノン在住。 |
ニコラ・サルコジ |
元大統領として複数の汚職・資金スキャンダルで起訴され、有罪判決を受けています。 ① 2021年:賄賂と引き換えの情報収集事件で「収賄・影響力行使」で有罪(3年刑、うち2年執行猶予、1年実刑)。 ② Bygmalion不正資金事件では後の公判で1年実刑(自宅拘禁可)。 ③ 2025年1月以降も、リビア資金提供疑惑(2007年選挙資金不正)に関する裁判が進行中で、最大7年の懲役と300,000ユーロの罰金、5年間の選挙資格剥奪の要求がなされています。 |
2026年のパリ市長選の最有力候補
2024年1月の文化大臣就任時点でパリ市長候補としての立場が確定しており、マクロン派を含むセンター右勢力からの支持を受けており、最有力候補とされています。
世論調査では、ダティが第1回投票の支持率で34%とリード、続いて社会党グランフロワール氏19%、グリーン党ベリヤール氏18%、左派チキルー氏14%、極右党マリアニ氏7%となっており、野党票の分裂の中で優位に立っています。
野心家のダティは60歳となる2026年にパリ市長に当選し、その後フランスの大統領という頂点を目指すことが予想されています。
フランスの大統領はパリや郊外都市の市長を経て大統領へ進んだ例が多く(最近では、シラク、サルコジ、オランドの3人のフランス大統領が、市長を経た後に大統領となっています)、「市長から大統領へ」という政治キャリアの流れはフランスで一種の前例となっています。
特にパリ市長というポジションは、「大統領への近道」と言われており、現在そのルートに一番近い位置にいるダティとしては、このチャンスを逃すわけにはいかないでしょう。
ライバルのアンヌ・イダルゴ現パリ市長は2026年に退任へ
ダティの政治的ライバルとして確執のある、現パリ市長であるアンヌ・イダルゴ(Anne Hidalgo)は、女性初のパリ市長として2014年から任命され、2021年には大統領選出馬を表明しました。
ただし、市債務が2014年〜2021年で110%以上増加し、住宅税や駐車料金の大幅増加が市民の負担を圧迫し、大きな不満を招く結果となっていました。
また、市長の仕事との関連性のない太平洋や欧州の、経済的に困窮している国々への出張や援助金は、国連高等難民弁務官への人事活動とも見なされ、公費浪費と市政不在による信頼低下から全国的な支持は得られず、得票率は1.75%に留まりました。
審議日程
日付・時期 | 予定されている手続き |
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2025年7月22日 | 捜査裁判官が、ダティとゴーンをパリ刑事裁判所に正式送致することを決定 |
2025年9月29日 | 第1回の予備審問が予定されており、公判開廷の是非や範囲が確定される |
2026年3月以降 | パリ市長選挙直後に本審理(公判)が開始される見込み。具体的な開始時期は春〜初夏になる可能性が高い |
その後 | 被告らの控訴・上訴の可能性が残されており、最終判決はさらに後の段階になる可能性あり |
リスクと逆風:汚職裁判の影響
パリ市長就任の可能性が高まってきた中での汚職裁判の予備審問は2025年9月29日に予定されており、公判日程は2026年3月のパリ市長選挙後になる可能性が高いと報じられています。
最大のライバルが失脚した今、2026年パリ市長選の有力候補として注目されていますが、それを阻むのはライバルではなく、自身が有罪となるかどうかでしょう。本審理は選挙後に予定されており、当選した後に有罪となった場合、辞職をせざるを得ない可能性も高いです。
それ以前に、ダティは金銭や人間関係のトラブルが多いためにクリーンなイメージを失っており、性格的にも敵を作りやすいため、選挙前の審問(2025年9月29日)で有罪判決が出た場合、支持率の低下は避けられないでしょう。
日本のように、公人には国民の代表にふさわしい人格が求められる社会にとって、このように多くのスキャンダルを起こしている時点で既に市長や総理大臣に選出される可能性はないでしょう。しかしフランスはどちらかというと、仕事、結果重視で、公人であっても政治的に良い結果を出せば、プライベートでの行動や人格についてはあまり問われない国です。
そのため、審問で無罪判決が出れば、当選する可能性はまだ残されており、その意味でも注目される審議です。

ラシダ・ダティが政治の世界に飛び込んだきっかけは、彼女の卓越した聡明さがニコラ・サルコジ元大統領の目に留まったことだった。彼女はサルコジの顧問となり、選挙戦ではスポークスパーソンを務めた。そして2007年の大統領就任後、41歳で法務大臣へ任命されるという異例の抜擢を受ける。同じ移民二世として、そして彼女は初のムスリム系女性閣僚として、サルコジの多様性アピールのシンボルとなったんだ。
しかし2008年ごろから、政権内部でダティの強硬な手法や高圧的な管理スタイルについて、「閣僚にふさわしくない」とする批判が高まった。さらに、サルコジが再婚した元モデルで歌手のカーラ・ブルーニとの間に確執があり、ブルーニがダティに否定的な態度を取ったことも、政局の軋轢を深めた。サルコジに関するゴシップの情報発信源がダティではないかという噂も流れ、関係は次第に悪化していく。2009年の欧州議会選でサルコジがダティを議員候補に推したのも、法務大臣の地位から離して政権を追い出す意図があったと伝えられている。
欧州議会議員となったダティはほどなく、カルロス・ゴーンと出会うことになる。ゴーンがCEOを務めるルノー・日産アライアンスとコンサルティング契約を結び、主に中東・北アフリカ(マグレブ地域)への事業展開支援という形で年間約90万ユーロの報酬を得ていた。宗教が大きな意味を持ち、親密な関係を築くのが難しい中東・北アフリカ諸国に対して、初のムスリム系女性閣僚、現欧州議会議員のダティの名声を使って取り入ろうとしたんだろう。しかし、実際にはコンサルティング的な実務の証拠が乏しく、欧州議会議員として禁じられたロビー活動に該当する可能性があるとして、フランス検察が2021年に受託収賄と影響力取引の容疑で彼女を起訴したんだ。当時彼女は同時期に、既にパリ7区区長と欧州議員を兼任していた。複数選挙公職の兼任ということで違法性はないものの、そのうえにルノー・日産とのコンサルティング契約を結ぶのは、公人としての節度がなさすぎる。どれもリモートでできるような仕事ではなく、プレゼンスが必要な仕事だから、どこかで手を抜いていたのではと目をつけられてもしかたがない。
ダティとサルコジ、ゴーンの三人は、いずれも現在「金銭にまつわる不正」で起訴され、失墜の危機に直面しているけど、多くの共通点がある。ダティとサルコジは移民二世、ゴーンは移民一世であり、三人ともエリートには珍しく厳しい幼少期を経験している。ダティは低所得の移民家庭出身できょうだいも多く、16歳から働きながら学び、サルコジは親の離婚後に祖父母と暮らし、家庭は経済的に厳しく父とは疎遠で、幼い頃から「屈辱感」が彼の原動力になったと語っている。同様に、ゴーンも6歳のときに父が殺人で服役して、母と祖母にひっそりと育てられ、やはり父とは疎遠だった。(カルロス・ゴーン氏が語る日産・ルノーの迷走と再生への条件を参照してください。)周りを見返して屈辱から抜け出すには勉強するしかなかったという3人には、周囲の助けがあった訳ではなく(昔から孤立しがちであったということも共通している)、自らの努力だけでフランスの政治・経済を動かす存在にまでなった。保守的で階級制度が残っていたひと昔前までなら考えられなかったことで、新たな時代の到来を感じさせてくれた。特にダティはフランス初のムスリムの女性閣僚で、一般的に女性の地位が低いとされる、世界のムスリム女性たちにとって希望と憧れの存在だったんだ。類まれな頭脳の持ち主であったことも共通しているが、3人とも、政治や経済のトップまで上り詰めながら、自らの意思で金銭の不正を行い、失脚、あるいは失脚しようとしている。
ダティは、彼女にとってはたったの90万ユーロ(日本円で約1億5千万円)の報酬問題で起訴され、パリ市長選挙も大統領に出馬する可能性も絶たれようとしている。彼女の現資産額は明らかになっているだけでも600万ユーロ(日本円で約10.4億円)に及び、政治家としては極めて裕福な部類だ。また企業から贈与された宝飾品約42万ユーロ(約7200万円)が未申告だったことも発覚し、更なる追訴の可能性もあるけど(まだ出てくるだろう)、不思議なのは、裁判官、法務大臣まで務めた聡明な人物が、そんなことをしたら起訴されて自身のキャリアも娘の人生も台無しになると思わなかったのだろうか。裁判官時代は不正に対し常に厳しい審判を下しており、法務大臣時代の政策に対しては、移民や若者に対して厳しすぎるという反発まで招いた人物だ。残りの人生では使い切れないような資産を手に入れながら、不正を行ってまでも手に入れたい報酬とはなんなのだろう。娘のゾーラの養育費も、そのうちに入るだろう莫大な遺産も裁判で獲得しているというのに。デセーニュとの関係も、最初からグループを乗っ取るために仕組んだものだったという説があるし、物心もつかないうちから裁判で、父に望まれずに生まれたことを公にされ、暴露合戦の原因とされた娘はどのように育っていくのだろう。ダティはこれまで本当の意味で誰かを愛したり愛されたことがなかったのではないかという気がする。(学生時代に一度目の結婚をしているが、両親によって決められたもので、社会に出てすぐに離婚している。)
幼い頃の金銭や愛情の欠乏は、大人になってどんなに成功しても満たされることはないのだろうか… なんとも悲しい話だ。