
自宅で定期的に乳がんの自己検査を行えるAIアプリ
乳がんは、女性の8人に1人が生涯のうちに罹患するとされている病気ですが、早期に発見されれば9割が治癒可能だと言われています。しかし現状の乳がん検査は、放射線を利用するマンモグラフィーが主流であり、被ばくのリスクが伴います。さらに、医療資源が限られた地域では検査予約すら困難であり、多くの女性が適切なタイミングで検診を受けられていません。
こうした課題に対して、人工知能(AI)を活用して乳がんのリスクを早期に予測し、日常生活の中でセルフチェックと医療との連携を実現する「デジタルクリニック」の仕組みを構築したのが、フランスのスタートアップHope Valley AI(ホープ・バレー・エーアイ)です。
CEA(フランス原子力・代替エネルギー庁)での15年にわたる研究の成果として誕生したこの革新的なプロジェクトは、2025年版『Challenges(シャレンジ)』誌「投資すべき100社のスタートアップ」にも選出されており、技術力と社会的意義の両面で注目を集めています。
創業の背景:医療の不平等をなくし、命を救うために
Hope Valley AIの創業者であるハキマ・ベルドゥーズ氏(54歳)は、パリ・サクレー大学で工学を学び、フランスの国家行政学院(ENA)を修了した後、15年間にわたりフランス原子力・代替エネルギー庁(CEA)で研究開発に携わってきた科学者です。
彼女は、自己免疫疾患「全身性エリテマトーデス(SLE/ループス)」を患った妹の影響を受け、医療領域へとキャリアを転換。最初は腎臓がんの研究に取り組み、その後、世界で最も患者数の多いがんである「乳がん」へと焦点を移しました。
「乳がんは40代からリスクが上昇しますが、フランスの公的な乳がん検診は50歳以上を対象としており、若い女性は制度の対象外となっています」とベルドゥーズ氏は語ります。加えて、フランスでは医療過疎地におけるマンモグラフィー(乳房X線撮影)の予約取得が難しいなど、制度上・地域上の障壁が根強く存在しています。
Hope Valley AIの提供するソリューションとは?
Hope Valley AIが開発したのは、2つの医療機器とAI分析による予防型診断システムです。
1. スマートフォンアプリによる「予防型セルフチェック」
第一のシステムはスマートフォンアプリで、女性たちが自宅で月に一度、自分の胸をビデオセルフィーとして撮影することで、デジタルツイン(胸の3Dモデル)を作成します。このアプリは予防的な生活習慣指導(コーチング)も提供し、生成されたデータはHope Valley AIのプラットフォームを通じて医師に送信されます。
この仕組みにより、目視では確認できないごく微細な異常の兆候を検出し、乳がん発症リスクのスコアを提示することが可能です。ベルドゥズ氏自身が元ラリードライバーだったこともあり、技術の精度と信頼性に強いこだわりを持って開発が進められています。
- 胸部の動画セルフィーを撮影し、自分の胸の「デジタルツイン(デジタル双子)」を作成
- アプリがデータをAIで分析し、12か月先、5年先までの乳がん発症リスクを予測
- ユーザーは定期的に月次の簡易検査・記録ができ、小さな異変(微細な腫瘤や形状の変化)も早期に検知
- 検査結果や画像データは、Hope Valley AIと提携する医師に自動的に送信され、遠隔からのフォローアップが可能
2. 超音波画像装置「Mammope(マモープ)」
第二の機器は「Mammope(マモープ)」と呼ばれる超音波イメージング装置です。X線を使用せず、安全性の高いこの装置は、医療従事者が使用することを想定しており、アプリユーザーによる自己診断結果をより精密に検証するために活用されます。
特に、セルフチェックの結果に基づき、医療機関で詳細な画像診断を行いたい場合や、定期フォローを行う施設にとって重要な装置となります。
「医療の民主化」を掲げるスタートアップの挑戦
Hope Valley AIは、2024年4月にフランス・ラ・ロシェルにて創業され、現在までに5件の特許(申請中含む)をベースに製品開発を行ってきました。また、CEA(原子力庁)およびInria(国立情報学研究所)から技術的支援を受けつつ、エンジェル投資家からシードラウンドで46万ユーロを調達済みです。
今後は、2025年夏までに450万ユーロの資金調達を目指しており、その資金をもとに医療機器としての臨床試験を開始し、患者への本格的な提供をスタートさせる計画です。
また、同時にフランスの健康保険(Assurance Maladie)との償還交渉も進めており、アプリやMammopeが保険適用されることで、より多くの女性にとって利用しやすくなる見込みです。
すでに、米国ではマサチューセッツ工科大学(MIT)との提携をスタートしており、ドイツやアメリカ市場への進出も本格化しています。
基本的な情報
- 企業名:Hope Valley AI
- 設立:2024年4月
- 創業者:ハキマ・ベルドゥーズ(Hakima Berdouz)
- 所在地:フランス・ラ・ロシェル
- 技術内容:AIを活用した乳がんリスク予測システム(12ヶ月および5年先を予測)、アプリによるセルフィー解析、X線を使わない超音波装置「Mammope」
- 主な用途:乳がんの早期発見と予防、家庭での定期検診支援
- 現在の状況:アプリと装置を開発済み、MITとの連携、臨床試験前段階
- 商業化の進行状況:臨床試験開始予定(2025年)、保険適用交渉準備中
- 目標資金調達額:450万ユーロ(約7億3,100万円)
- ターゲット顧客:30代〜50代の女性(特に現行の検診制度から除外されている40〜50歳の層)
- 想定ユーザー:スマートフォンを日常的に使用する健康意識の高い女性層
- 対象市場:デジタルヘルス、乳がん予防医療、遠隔医療市場
- 売上見通し:2026年に200万ユーロ(約3億2,500万円)を目指す
