
ワクチン用の抗原を安定化させる植物由来のナノ粒子
フランス東部ストラスブール近郊、イルキルシュ=グラフェンスタデンに拠点を置くスタートアップ「Serendip Innovations(セレンディップ・イノベーションズ)」は、植物の持つ自然の力を利用して、人間や動物の健康を守る新たなワクチン技術の開発に取り組んでいます。
このスタートアップの出発点は、フランス国立科学研究センター(CNRS)に所属する植物分子生物学研究所(IBMP)で行われたある研究にあります。IBMPの研究チームは、植物から抽出できるナノ粒子(ナノパーティクル)が、ヒトや動物の健康にとって有益な働きを持つことを発見しました。このナノ粒子は、ワクチンの効果を高めたり、安定化したりするのに非常に有用だということがわかり、そこから生まれたのがSerendip Innovationsです。
感染症の予防ワクチンだけでなく、がん治療を目的とした治療用ワクチンの分野でも注目されており、2025年に注目すべき「投資すべき100社」にも選出されています。
ナノ粒子の特徴と利点
Serendip Innovationsが開発した植物の葉から取れる「ナノ粒子」には、ワクチンの中に入っている抗原を安定させるという特別な力があります。
抗原は、体に入ると免疫反応を起こし、病気から体を守る働きをします。でも、この抗原はとても壊れやすく、保存や運搬が難しいという問題がありました。Serendipのナノ粒子は、この抗原を守り、安定させることで、ワクチンをより安全で効果的なものにしてくれるのです。
しかもこの粒子は、会社の研究室で育てている植物の葉から直接取り出すことができます。人間にとって有害なウイルスや細菌が入り込む心配が少ないので、とても安全な方法だと言われています。
- Serendip Innovationsの植物由来ナノ粒子には、以下のようなメリットがあります:
- 抗原を安定化させることで、ワクチンの効果や保存性を高める
- 人に有害な病原体を含まない安全な素材である(植物の葉から直接採取)
- RNAワクチンなどの次世代ワクチンにも応用可能
この研究は、すでに2件の特許を取得しており、製薬業界からの注目を集めています。
ワクチン開発の現場とビジネス展開
Serendip Innovationsは、自社のナノ粒子をバイオテクノロジー企業や製薬会社に対して提供しています。これらの会社は、ワクチンを開発するときにこの粒子を使いたいと考えており、Serendipはそのための「ライセンス販売(使用許可)」を行っています。
この技術を広めるために、Serendipは事前に「実現可能性の調査」や「共同研究(プレ臨床開発)」も行っています。すでに5つの企業や研究機関とのプロジェクトが始まっていて、その中の一つは非常に重要なものです。
それは、「大腸がんの再発を防ぐための治療用ワクチン」の開発プロジェクトです。このプロジェクトには、がん研究の名門センターや病院も参加しており、Serendipと一緒に臨床試験に向けた準備を進めています。このプロジェクトが順調に進めば、2025年には最初の売上として少なくとも100万ユーロ(約1億6,000万円)が期待できるとしています。
さらに、2028年には人を対象にした本格的な臨床試験を開始する予定です。
商業化とパートナーシップが始動
現在、同社はバイオテクノロジー企業や製薬会社に向けて、ナノ粒子技術のライセンス供与を開始しています。それに先立ち、共同での実験や開発、そして技術の実用性を検証する「フィージビリティスタディ(実現可能性調査)」も積極的に提供しています。
すでに5件のパートナーシップが締結または進行中で、そのうちの1つは臨床段階を目指す大規模なプロジェクトです。このプロジェクトでは、著名ながん研究センター、病院、そしてセレンディップ社が連携し、大腸がん患者の再発を防ぐための治療用ワクチンの開発に取り組んでいます。
この臨床ワクチンの研究開発により、2025年中には少なくとも100万ユーロの初期売上が見込まれており、2028年の本格的な臨床試験開始を目指しています。
資金調達の戦略と将来展望
セレンディップ・イノベーションズは、2024年末に270万ユーロの初回資金調達を成功させました。現在はプレ臨床試験を本格的に進めるために、2025年中にさらに300万ユーロの追加資金を募っています。さらにその次のステージとして、2026年から2027年にかけて、約1,600万ユーロ規模の大規模資金調達も視野に入れています。
この資金は、がんワクチンに限らず、同社が注目している別の革新的用途にも向けられる予定です。具体的には、mRNA(メッセンジャーRNA)の安定化とベクター化(運搬体化)における応用です。これは、COVID-19ワクチンなどで広く使われた「脂質ナノ粒子(LNP)」に代わる選択肢となる可能性があります。脂質ナノ粒子は安定性に課題があるとされており、セレンディップの植物由来粒子はその欠点を補う技術として期待されています。
医療と環境に優しい未来をつくる
現代の医療において、がんの治療や感染症の予防は重要な課題です。ワクチン技術の進化により、多くの病気が未然に防げるようになってきましたが、そのためには抗原の安定性や安全な製造技術が不可欠です。
Serendipの技術は、まさにそのようなニーズに応えるものであり、世界の医療産業全体に変革をもたらす可能性があります。加えて、動物用ワクチン市場や、環境負荷の少ない医薬品製造という観点からも、大きな市場拡大の可能性が期待されています。
セレンディップ・イノベーションズの最大の強みは、植物という再生可能な資源を利用しながら、医療分野での実用的なソリューションを提供している点にあります。自然から得た素材をナノスケールで加工し、人間の免疫系を活性化させるという発想は、環境にも優しく、次世代型のバイオテクノロジーとして世界的な関心を集めています。
同社のこれからの挑戦は、技術のさらなる精緻化、パートナー企業との連携強化、そして国際市場への展開です。臨床試験という大きな壁を乗り越えた先には、がんの再発予防や感染症の制圧といった、医療の未来を変える可能性が広がっています。
基本的な情報
- 企業名:Serendip Innovations(セレンディップ・イノベーションズ)
- 設立:2023年
- 創業者:
- ヴィアネ・ポワニャヴァン(ウイルス学博士)
- アドリアン・トロレ(植物生物学博士)
- アレクサンドル・ヒル(化学エンジニア)
- 所在地:フランス・ストラスブール近郊(イルキルシュ=グラフェンシュターデン)
- 技術内容:植物から抽出したナノ粒子で、ワクチンの抗原を安定化
- 主な用途:
- がん治療ワクチン(特に大腸がんの再発防止)
- 感染症予防ワクチン
- RNAの安定的な運搬技術
- 現在の状況:
- 5つの企業・研究機関と共同プロジェクト中
- 2025年に100万ユーロ以上の売上見込み
- 2028年に臨床試験を開始予定
- 商業化の進行状況:
- ライセンス販売を開始済み
- 前臨床の共同開発も実施中
- 資金調達:
- 2024年:270万ユーロ((約4億3,000万円・調達済み)
- 2025年:300万ユーロ(約4億8,000万円)
- 2026〜2027年:約1,600万ユーロ(約26億円)
- ターゲット顧客:バイオテク企業、製薬会社
- 想定ユーザー:がん患者、感染症予防を希望する人、将来的にはRNAワクチンの開発者
- 対象市場:ワクチン産業全般(人用および動物用)
