
重要資源(クリティカルマテリアル)に依存しないバッテリー
近年、電池やバッテリーを取り巻く課題として注目されているのが、「重要資源(クリティカルマテリアル)」への依存です。リチウム、コバルト、ニッケル、グラファイトなどは、電動車やスマートフォン、エネルギー貯蔵装置など幅広い用途に使われており、需要の高まりとともに地政学的なリスクも顕在化しています。こうした背景の中で、全く新しい発想による“代替型バッテリー”の開発に取り組むフランスのスタートアップが登場しました。
その名は「Pioniq Technologies(ピオニック・テクノロジーズ)」です。この企業は、チタン酸化物とアルカリ金属を用いた、持続可能かつ高性能なマイクロバッテリーの開発に挑戦しており、早くもロボティクスや防衛、宇宙産業などからの注目を集めています。
フランスの経済誌「Challenges」による「2025年に投資すべきスタートアップ100社」にも選出されており、そのポテンシャルは高く評価されています。
量子物理学の研究者が起業へ
Pioniq Technologiesの創業者であるブリジット・ルリドン氏(Brigitte Leridon)は、パリにある高等物理化学工業学校(ESPCI)を卒業後、25年以上にわたりフランス国立科学研究センター(CNRS)で量子物理学や超伝導体の研究に従事してきました。
長年にわたる基礎研究の傍ら、彼女の心には「いつか自身の研究成果を具体的な応用技術として社会に還元したい」という思いが常にありました。その願いを実現するきっかけとなったのが、「結晶材料の持つ高い蓄電能力」との出会いです。
この発見を機に、ルリドン氏は応用研究の領域へと舵を切り、2023年にPioniq Technologiesを立ち上げました。共同創業者として、量子材料の専門家である2名の物理学者も参加し、研究者チームによるディープテック・スタートアップが誕生したのです。
重要資源ゼロのバッテリー開発
同社が開発するバッテリーの最大の特徴は、「リチウム」「コバルト」「ニッケル」「グラファイト」といったクリティカルマテリアルを一切使用しない点にあります。代わりに用いるのは、「チタン酸化物」と「アルカリ金属類」。これらは地球上に豊富に存在し、コストも比較的安価で、採掘や精製による環境負荷も抑えられるため、サステナビリティの観点からも非常に優れた材料といえます。
さらに、この技術はイオン伝導性が高く、エネルギーのやり取りが効率的に行えるという特性を持っています。この点が、単なる代替品ではなく「競争力のある次世代技術」として注目される理由の一つです。
Pioniqが現在試作しているのは、わずか1ミリ程度のサイズの「マイクロバッテリー」です。これらはセンサーや電子回路に直接実装することができ、IoT(モノのインターネット)、防衛、宇宙工学、ロボティクスといった分野での活用が期待されています。
実験室段階から量産型へ
現在、PioniqはESPCI内のディープテック向けインキュベーター「PCUP」に拠点を構えて活動しています。既に実験室レベルではプロトタイプの開発に成功しており、次のステップとして「薄膜型バッテリー」の開発と量産化を目指しています。
ルリドン氏は、「私たちはマイクロバッテリーの開発からスタートしましたが、今後はモビリティ(電動車)や定置型蓄電(例:風力発電の蓄電)といった大規模用途に向けたバッテリーにも取り組んでいきます」と語っています。
この薄膜バッテリーの技術が確立されれば、高密度でかつ環境負荷の低いエネルギー貯蔵ソリューションとして、多くの産業において革命をもたらす可能性があります。
資金調達とチーム拡大
Pioniq Technologiesはすでに、著名な量子系投資ファンド「Quantonation(クアントネーション)」から200万ユーロ(約3億2,000万円)のプレシード資金を調達しています。Quantonationは、フランスの実業家シャルル・ベイグベデル氏が支援するファンドで、量子分野のディープテックに特化しており、Pioniqの技術力と将来性に早くから注目していました。
スタートアップとしての成長フェーズに入った同社は、2025年末までに7名の新たな人材を採用し、現在の8名体制から15名規模へと拡大する予定です。また、近く700万ユーロ(約11億円)規模のシリーズA資金調達にも乗り出す計画で、この資金は主に以下の用途に活用される見込みです:
- 専用の研究機器の導入(グローブボックス、合成用炉、エッチング装置、数値シミュレーション装置など)
- 薄膜型バッテリーの量産体制の整備
- 研究から製品化までのスピードアップ
- 特許ポートフォリオの拡充
売上見込みは2029年から
現時点でのPioniq Technologiesは、まだ開発段階にあるため、商業的な売上は発生していません。しかしながら、初期製品の市場投入と売上発生は2029年を見込んでおり、それまでに技術の確立と量産体制の構築を着実に進めていくとしています。
現時点でのPioniq Technologiesは、まだ開発段階にあるため、商業的な売上は発生していません。しかしながら、初期製品の市場投入と売上発生は2029年を見込んでおり、それまでに技術の確立と量産体制の構築を着実に進めていくとしています。
このスケジュール感は、ディープテック分野のスタートアップとしては一般的なものであり、特に物理学や材料科学を基盤とする企業では、研究開発に5〜10年を要することも珍しくありません。
とはいえ、Pioniqの開発しているバッテリー技術は、脱炭素化・エネルギー自立・環境配慮といった現代社会の要請に極めてマッチしており、長期的な視野での投資対象として非常に魅力的です。
エネルギーの未来を変える“量子×材料”の可能性
Pioniq Technologiesの挑戦は、単なるバッテリー開発にとどまりません。量子物理学と材料科学というフランスが世界的に強みを持つ2つの分野を融合し、新たな技術領域を切り拓こうとしています。
ルリドン氏をはじめとする研究者たちは、理論と実践の橋渡しを担う「科学者起業家」としての役割を果たしながら、エネルギー問題という人類共通の課題に対して、自らの知見と技術で答えを出そうとしています。
今後、同社が開発する“資源に依存しない電池”が広く普及すれば、グローバルなサプライチェーンのリスクを低減し、より公平かつ持続可能なエネルギー利用が実現するかもしれません。
Pioniq Technologiesが示す未来は、科学の粘り強い探究心と、地球へのやさしさが融合する、新たなエネルギーの可能性そのものなのです。
