
超小型かつ高密度のエネルギー貯蔵コンポーネント
現代医療の進歩により、心臓ペースメーカーや人工膵臓、脳刺激装置など、体内に埋め込むタイプの電子医療機器の開発が加速しています。こうした高度な医療機器には、高性能かつ超小型のエネルギー供給部品が不可欠です。しかし、既存のバッテリー技術にはサイズや安全性、充電性の課題があり、それが医療機器のさらなる進化を妨げる要因となっています。
こうした課題に真っ向から挑んでいるのが、フランスのスタートアップ企業「Voltify Semiconductor(ボルティファイ・セミコンダクター)」です。同社は、医療用途に特化した“超小型かつ高密度”のエネルギー貯蔵コンポーネントを開発しており、フランス経済誌『Challenges』の「2025年に投資すべきスタートアップ100社」にも選出されています。
創業者マキシム・アロ氏:ナノとミクロに魅せられた男
Voltify Semiconductorの創業者であり現CEOを務めるマキシム・アロ氏は、32歳の若き科学者です。彼は幼少期から「小さなものを作ること」に魅了され、大学ではナノサイエンスとナノテクノロジーを専攻し、リール大学で修士号を取得しました。
その後、彼はフランス国立科学研究センター(CNRS)の傘下にあるヴィルヌーヴ=ダスクのマイクロエレクトロニクス研究所に加わり、エネルギー貯蔵に関する研究を本格化させます。そして2022年、最小限のクリティカルマテリアル(希少資源)しか使用しない、超高密度のエネルギー貯蔵コンポーネントの開発に成功しました。
このコンポーネントのエネルギー密度は、業界トップクラスとされる日本の村田製作所(Murata Technologies)の既存技術の10倍にも達するというから驚きです。マキシム氏は「この技術が研究室の中だけで終わってしまうのはもったいない」との思いから、2023年3月にVoltify Semiconductorを設立しました。
医療用インプラント向けに開発された超小型バッテリー
Voltify Semiconductorが現在開発しているのは、0.01平方ミリメートルから最大でも4平方ミリメートルという、驚異的に小型なエネルギー貯蔵コンポーネントです。これらはマンガンとチタンを主成分とするセラミック系の素材で構成されており、リチウムやコバルトなどの環境負荷の高いクリティカルマテリアルを最小限に抑えています。
さらに、これらのバッテリーは非接触型(経皮的)での充電が可能であり、たとえば皮膚の上から誘導充電(インダクション)によって何度でも再充電できるように設計されています。これは、心臓ペースメーカーや糖尿病治療用のインプラント、緑内障、心房細動など、慢性疾患の長期的な治療に使用される医療機器にとって非常に重要な特性です。
Voltifyの技術により、従来であれば手術によってバッテリーを交換する必要があった医療機器のメンテナンスが、はるかに簡易かつ低リスクで実現できるようになるのです。
規制の壁を乗り越えるまで、他分野で展開
とはいえ、医療機器にバッテリーを組み込むためには、厳格な安全性試験や長期間にわたる規制審査をクリアしなければなりません。こうしたプロセスには数年単位の時間がかかるため、Voltify Semiconductorは医療市場に本格参入するまでの間、まずは防衛産業や宇宙産業といった分野に向けて製品を展開しています。
これらの分野でも、小型かつ高密度なエネルギー貯蔵が求められるケースは多く、たとえば小型ドローン、衛星搭載用のセンサー、ウェアラブルな軍用機器などでの採用が期待されています。規制の少ないこれらの業界で技術の信頼性と耐久性を実証しながら、医療市場への足がかりを築いているのです。
初年度で100万ユーロの売上目標、医療市場参入は4〜7年後
Voltify Semiconductorは、2025年に初年度の売上目標として100万ユーロ(約1.6億円)を掲げています。これは主に、防衛・宇宙産業向けのエネルギー貯蔵コンポーネントの販売によって達成される見込みです。
一方で、医療機器向けの製品については、規制審査などの工程を経たうえで、今後4年から7年以内に最初の商業販売を実現することを目指しています。長期的な計画にはなりますが、実現すれば世界中の医療技術に大きなインパクトを与える可能性があります。
すでに56万5,000ユーロの公的助成を獲得、今後4.5百万ユーロの資金調達を予定
Voltify Semiconductorは、創業以来、フランス政府が推進する未来産業支援プログラム「France 2030」や、「French Tech Emergence」からの助成金、さらにオー=ド=フランス地域圏の支援団体「Hodefi」からの支援など、累計で56万5,000ユーロ(約9,000万円)の公的資金を受け取っています。
これらの資金は、主にプロトタイプの開発や、大学や研究機関との共同研究に使われてきました。そして現在、同社は本格的な研究開発の加速と事業化フェーズへの移行を図るべく、4.5百万ユーロ(約7億2,000万円)の資金をリスクマネーとしてベンチャーキャピタルから調達しようとしています。
この資金調達により、Voltifyは次のステップとして以下の取り組みを進めていきます:
- 大量生産に向けた製造設備の整備
- 医療機器認証取得のための臨床試験支援
- 防衛・宇宙市場での事業拡大
- 高度な知財戦略の展開
小さな技術で、医療を大きく変える未来へ
Voltify Semiconductorは、ただ小さなバッテリーを作っているだけではありません。その技術は、「患者の生活を変える力」を秘めています。定期的な手術が必要だった慢性疾患患者にとって、再充電可能な超小型インプラントは、生活の質(QOL)を劇的に向上させる可能性を持っています。
そしてこの技術は、ナノサイエンスと医療、さらには防衛・宇宙産業という複数の先端分野の交差点に位置しており、今後ますます重要性が増していくことでしょう。
Voltify Semiconductorの挑戦は始まったばかりですが、彼らの掲げる「小型化によるイノベーション」が世界の医療をどう変えていくのか、今後の展開から目が離せません。